沖縄スローライフを楽しむ『沖縄暮らし』 セカンドライフは沖縄で
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沖縄の「遊」「食」「住」を楽しむ雑誌『沖縄暮らしvol.4』2009年11月12日(木)発売予定!全国の紀伊國屋書店、有隣堂書店ほか主要店にてお買い求め下さい!!

オキナワ歴史散歩 那覇市首里

オキナワ歴史散歩 那覇市首里

大いなる繁栄を享受する王都首里の誕生

首里は、沖縄県那覇市の北東部、地域全体が海抜約100m程度の高台に位置する街で、面積約6・3㎢、全19町からなる街である(平成19年4月現在)。
14世紀の後半、この地の高台に察度王が城を構え、さらに15世紀の前半になって、尚巴志が居城を建設して琉球全土を統一し、ここを王都と定めたときから、この古都の歴史は始まる。
その後、1470年から始まる第2尚氏王朝時には、中央集権体制を確立させるため、琉球各地の按司(封建領主)を首里に集結、また、活発な海外貿易の要であった港町・那覇を統べる本部機能をもたせて、外交的にも内政的にも、名実共に、琉球の中心地としての地位を確立させたのであった。
加えて、那覇港から国の内外を問わず、ひっきりなしに流入する人・物・金・情報によって、文化・芸能・芸術の分野でも大いに栄えた首里は、泡盛や紅型、漆器、古典舞踊など、今日の沖縄文化の礎である、華やかな王朝文化を開花させ、まさに王都と呼ぶに相応しい街を形成してゆくこととなる。

沖縄のシンボル「首里城」その華麗なる歴史

標高約100mの首里地区の更に高台、標高約120〜135mの石灰岩の丘陵地の、東西に約350m、南北に約200mの楕円形の敷地に、首里城がそびえている(本殿のある場所の標高は約125mほど)
先述の項では、察度王が14世紀後半にこの場所に築城した旨を記したが、一番最初にこの場所に城を構えた人物は実は他にいる。14世紀以前は、住む人もまばらだったであろうこの土地に、先便を付け、最初に築城した人物は一体誰だったのか。残念ながら、それは今のところまだ解明されていない。ただ、近年の発掘調査で、首里城の原形ともいうべき最初期の城が、少なくとも14世紀には出来ていたであろう、ということが解っている。記録には残っていないものの、いくつかの城が生まれては消えていったのかもしれない。
そして、首里に築かれた城が、王城として、その華麗なる歴史の第一歩を歩み始めたのが、先にも述べたが、第1尚氏の尚巴志が15世紀初期に首里城を拠点に琉球を統一したときからである。
7代続いた第1尚氏王朝は、王府に国相として中国人を招き入れ、次々と新しい建物の建築計画を立て、王都にふさわしい都市をつくるべく整備事業を積極的に行った。
だが、例え尚王朝がこの地を王都としなかったとしても、恐らく、いずれ誰かがこの地を都と定め、城を建てたに違いない。言い換えれば、この地に王城が築かれたのは、ある意味においては必然であったと言ってもよいだろう。というのも、この地の地理的立地が要塞を建てるのに極めて好都合であったからだ。
背後には山、左右には丘陵と森、そしてその内側には河川があり、前面は大きく拓けていて、那覇の平地と東シナ海を見晴らすことが出来る。
簡単に言えば、敵からの容易な攻め込みを許す方角は、前面の一方向のみであり、だから障壁を設けるのも基本的には前方向だけで事足りる。しかも見晴しは抜群によい。
このような地形は、後に琉球の地で花開く風水上でも、「蔵風得水(ぞうふうとくすい)」と呼ばれる吉相地とされている。また、久米36姓を重用していた17〜18世紀には、国策として風水を用いた国づくりが行われ、こうして首里は、実利的にも呪術的にも最強のグランドデザインが成されたのである。